不穏な空気が辺りに漂う。
ざわざわと木々が揺れ、それはもうすぐ始まる時間を告げる鐘のよう。
「・・・来る」
少し遠くの森で、一際木の葉が揺れる音がした。数秒遅れて届いた風の生ぬるさを、眉をしかめてやりすごす。
「できるだけ一発で仕留めます、苦しまないように」
「わかった」
「かしこまりました」
自分の隣にいた陰陽師が短く答え、自分もまた是と応じた。
何故なのかわからないが、自分たちの背後にいて戦いを差配するこの少女は、よく自分と泰継を供にすることが多い。
問うたことはないが、五行相性を考えているからだろうか。それとも何か考えがあるのだろうか。
「幸鷹さ・・・!」
一瞬の隙をすかさず狙われ、怨霊の放った気が自分のほうへと向かってくることに気がついた。が、
(避けきれない・・・!)
来るであろう衝撃を最小限に抑える為に、両手を交差させて身構える。
どん、とも、ばん、ともつかない破裂音が聞こえたが、自分への衝撃がない。
目を開けると、目の前に泰継がいた。相当な痛みを感じるだろうに、僅かに眉を潜めただけで幸鷹を睨んでいた。
「余所見をするな」
「・・・すみません」
今は花梨を守り、怨霊を倒し、封印することだ。神子の五行の力を最小限の消費に抑えるべく、八葉である自分たちが戦わねばならぬというのに。
「泰継さん、大丈夫?!」
ケガの度合いを目視している間に回復札は不要だと言い放ち、泰継は即座に怨霊へと向き直る。
この陰陽師には、恐怖心がないのだろうか。
仕事柄、怨霊と対峙する機会は確かに多いだろう。けれども、こうも手強い相手ではさすがの自分も少し後ろ向きな思考が頭をよぎる。・・・いや、そんなことは考えてはならない。
今は目の前の怨霊を封じることだ。稀代の陰陽師が隣にいて、背後には武力こそないが持ち前の前向き思考と咄嗟の判断力が的確な龍神の神子。
「幸鷹さん、天浄陽光いきます!」
「かしこまりました」
花梨が小さく呪を唱えた札を空へと放ると、眩しい光が幸鷹を包み込む。怨霊が怯んだ隙をついて、刀を振り下ろす。
痛みに傷ついた怨霊が雄叫び、のたうちまわる。
「神子」
泰継が僅かに後ろを振り向いた。はい、と頷き返した花梨が、今楽にしてあげるからね、と呟くのが聞こえた。
「・・・彼のものを封ぜよ!」
いつもこの瞬間は慣れない。
時折、最後の力を振り絞って、怨霊が封印を跳ね返すからだ。
金属がかち合ったような、甲高いキインという音がすると、大概封印は失敗する。
そして花梨が呟くのだ、
「苦しい思いをさせてごめんね」
と。
なりたくて怨霊になったわけじゃない。何か訴えたいこと、思い残したことがあるのに耳を傾けてくれる人がいなかったり、その無念さを逆に利用されているだけなのだと神子は言う。
だからできるだけ苦しまずに楽にしてやりたいのだと。
この怨霊もきっと、苦しまずに封印されるだろう。
その証拠に、金属音が聞こえない。
蒸気が上がるような、シューッという煙と共に札へと吸い込まれて、札が地面にぽとりと落ちた。札に吸い込まれる一瞬、怨霊の表情が穏やかに見えた気がした。
「少し梃子摺りましたが、無事に封印できて良かったですね」
「すみません幸鷹さん。私の差配が悪くて・・・もう少し配分を考えなくちゃいけませんね」
「神子が悪いわけではない。封印もできたし、もう日が暮れる。帰るぞ」
さっさと背を向けた泰継に「待って!」と言いつつ、小走りに後を追う。「幸鷹さんも、早く!」と急かす表情は、さきほどまで見せていた龍神の神子のものとは正反対だ。
「ああお腹空いちゃった!今日のご飯何かなあ。でもその前に・・・」
今日は頑張ったからご褒美が欲しいなあ・・・と上目遣いに二人を見上げる。何のことだかわからない泰継が、少し困ったように眉根を寄せた。
「ご褒美とは何だ?」
「今日は一日遠方ばかりで、更には怨霊を封じていましたからお疲れになったでしょう。甘い物でも、と申し上げたいところなのですが」
一瞬、花梨が「やった!」と顔を綻ばせたのだが、続く言葉がきっとその期待を打ち消すものだとわかってしまったから、途端にしゅんと項垂れた。
「今は金子を持ち合わせておりませんので、後ほど何か届けさせましょう」
「わあ、ありがとうございます!」
やった!と嬉しそうに飛び跳ねる花梨に、泰継は「気がつかなくてすまなかった」と詫びる。じゃあ今度白梟さんの見る景色を私にも見せて下さいとねだり、即座に了承を得た。
一人分の甘い物を買う程度の金子なら懐にあるのだが、神子にはとっておきのおいしいものを食べて欲しかった。時折、泉水が甘い物を届けさせていることを聞いた後だからだろうか。庶民が食べる物でも花梨は喜ぶと知っているが。
「妙な所で張り合ってしまいますね・・・」
花梨を挟んで隣を歩いている陰陽師は、泉水同様、霊力の高さと豊富な知識を買われてよく供についている。
泉水は花梨が好みそうな甘い物をよく届けると聞く。時折奏でる笛の音も、花梨のお気に入りだ。
翡翠は唯一京の人間ではないからこそ知っている様々な土地の話をして聞かせ、しょっちゅう自分の若い頃の事を吹き込んでいるらしい。・・・主にからかいの対象として。
他の面々も花梨には優しいし、基本的に甘い。
「敵多し、ですね・・・」
この異世界からやってきた少女の事を好ましく思う人間は自分だけではないようだ。
京の穢れを清めてしまえば、花梨は自分の世界へと帰ってしまう。それがわかっているから、皆何も言えないのだろう。
まだ全てを捨てて神子と共にいる決心がつかない。けれども京へと留めさせるわけにもいかない。
幸鷹もまた同じなのだった。
(検非違使別当の職を捨てる覚悟は・・・まだ、ない)
それでも一緒にいたいと願う愚かさ。
誰あろう自分が一番わかっているのだ。
神子にこの想いを受け入れられたなら、どちらかの大切な人たちを裏切ることになるのだと。
楽しそうに話す花梨に相槌を打ちながら、幸鷹は近いうちにひとつの大きな決心をしなくてはならないだろうと思う。
(もしあなたが私と共にいてくださるのならば)
(あなたに悲しい想いをさせたくないのです)
全てを捨てるのは自分だけでいい。
あなたの太陽のような光を、笑顔を見ることができるなら。
そうして、ゆらりと揺れたいつもと違う気を見た泰継が、物言いたげに自分を見つめていることに気付いていても、何も言うつもりはなかった。
ヒトリゴト。
幸鷹さんから見たお話なんですが、多分もっと小難しいことを複雑に考えてそうだと思います。その辺の表現は私には無理でした・・・
花梨を想う気持ちは負けないつもりだけど、じゃあ自分の全てを捨てて花梨の世界に行けるかっていうと即座に「うん」とは言えない程度に未練がある、という段階。
でも彼女に全てを捨てさせていいのかどうか。そして自分を想ってくれてると自惚れていいのか。
気付いてしまったことをなかったことにはできないから、遅かれ早かれ心を決める時が来る。
できるなら、それが少しでも後であればと願う、愚かな心。
2011.5.14UP