過去に自分が生きてきた中で、どれほどの「無駄な時間」を過ごしたことがあるだろうかとふと思い悩む。
詮議を終えて自邸へと帰る途中、車の中で腕を組んだ。
物心ついた時には既に物理の専門書を読んでいたし、学会についていったことも一度や二度ではなかった。
勉強することがとにかく楽しくて仕方がなかった。だから「時間が空く」と何かしら本を読み、自論をまとめ、父や母に教えを乞うていた記憶しかない。
では、今はどうだろう。
京へ来てからの自分もまた、あまり無駄を好まぬ生活嗜好だった。けれどそのおかげで・・・父のおかげも多分にあることは忘れていないが・・・中納言と検非違使別当を兼帯するまでになった。検非違使別当は誰でもなれるわけではないということをよくわかっているから、自分の仕事には取り分けプライドがあると自負している。
そんな中で出会った「龍神の神子」もまた、あまり無駄を好まぬようであった。けれどそれは物質的なもので、彼女いわく「無駄な時間」は人生において必要不可欠、らしい。
「なあんにもしないで、ただぼーっとするんです。今日は天気がいいなあとか、小鳥の声が綺麗だなあとか、今日のお夕飯何だろうなあとか・・・」
最後の一言に思わず「は?」と聞き返してしまい、花梨が真っ赤になって「な、何でもありません!」とあわあわと手を振った。
「無駄な時間・・・ですか」
「そうですよ、幸鷹さん。お仕事の合間のほんのひと時を、お茶でも飲みながらぼーっとするんです。次のお仕事の段取りとか考えちゃダメなんですよ」
「しかしそれでは効率よく仕事が進みません」
「そう言われちゃうと何も言えませんけど。でも、自分を一度リセットするっていうか・・・」
「・・・リセット」
「うまく言えないんですけど・・・、今までの仕事から次の仕事に移る時に、頭を切り替える為に一度全部頭の中を空っぽにするんです。で、深呼吸して」
「次の仕事に取り掛かれば、効率もいいだろう・・・と仰りたいのですね?」
はい、と花梨が頷く。
なるほど、と思う。
けれど一方で、一度集中してしまうとずっと仕事に掛かりきりになる自分の癖も知っているから、突然変えるのは難しいだろう、とも。
「思い出した時にでも、やってみましょう」
という会話が交わされたのが、昨日のこと。
詮議を終えた後は一度自邸に戻って、書類を片付けなくてはならない。裁可待ちのそれらが滞れば、京の街の安寧もそれだけ遅くなるということだから。
ガタゴトとゆっくり進む牛車は、幸鷹につかの間の「無駄な時間」をもたらす。今までは仕事の段取りしか頭になかったが、昨日の会話を思い出して、しばらくの間何も考えないことにしてみた。
「・・・・・・」
街の喧騒が聞こえる。罵声に似た威勢のいい声もあれば、どこかで子どもが泣いている声も聞こえる。
それらは自分の仕事の結果なのだと知ることができるから、幸鷹は街へ出るのが好きだ。京は今、何に困っているのか、何をしてほしいのか。自分は、どうするべきか。
「無駄な事など、何一つない、ということか」
無駄も回りまわれば無駄にはならないということを学べた時点で無駄ではない。
こうしてただ目を閉じて外の様子を伺うだけでも、大いに学べる点はある。花梨にしてみれば「それも仕事のうちです!」と頬を膨らませるのだろうかと考えると、くすりと笑みが漏れた。
「お帰りなさい、幸鷹さん」
「ただいま戻りました、花梨さん」
肩ほどまで髪が伸びた妻が庭にいた所を通りかかって足を止めた。
「何をしてらっしゃるのです?」
「散歩です。花が綺麗に咲いたなと思って」
ほら、と指差した先に咲く花を見て、これも「無駄な時間」なのだろうかと考える。
突然思案顔で黙り込んだ夫を不思議そうに首を傾げて見つめている花梨が、やがて「・・・どうかしましたか?」と小さく尋ねた。
「ああ、・・・いえ。昨日あなたが仰っていたことを考えていたのです」
「昨日?・・・ああ、無駄な時間、ですか?」
はい、と幸鷹が未だに考え込んだ様子で頷き返す。そんなに難しいことを言ったつもりじゃなかったのだと口を開きかけたが、一瞬幸鷹のほうが早かった。
「帰りの車の中で何も考えずにいたのです。街の様子を耳で聞いていたら、無駄なことなど何一つないのだなということがわかりました」
花梨にはついていけない展開で話が進んでいるのだが、突っ込むに突っ込めないのでそのまま黙っておく。
「京の民の安寧は、私たち貴族が守らねばなりません。その治安を維持していく仕事に従事している自分に、誇りを持っています」
「はい」
「ですから、あなたの言ったことは『無駄』になってしまいました」
「・・・へ?」
「何も考えずにいようと決めて、目を閉じて京の様子を感じ取る。そうして彼らの日常が今日もまた恙無いことを嬉しいと思うのは、一人の京の民としての私ではなく、中納言としての、検非違使別当としての『藤原幸鷹』なのです。ですから、結局あなたが仰る『何もせずに、何も考えないこと』というのは、どうやら私にはできないようです」
ああ、そういうことかと花梨が納得して頭をこくこくと縦に振る。
「幸鷹さんは、結局どこまでも幸鷹さんですね」
ふふ、と笑う花梨に、褒められたのだろうかと一瞬迷う。
「でも、そんな幸鷹さんだからこそ、京は今もこうして平和なんですね」
「それは・・・いい言葉なのでしょうか」
「そうですよ?」
ふふふと可笑しそうに笑う妻に、そうですかと僅かに頬を赤く染めた。
「無駄な時間を過ごしてみたらどうですか、なんて言った私の言葉は、結局幸鷹さんには合いませんでしたけど、でもそれで無駄な時間を過ごすっていうことの意味を知ってくれたのなら、それでいいです」
「仕事で費やす時間は勿論ですが、あなたとこうしてお話している時間すら、何一つ無駄なことなどありはしないのですよ」
そうだった、幸鷹さんお仕事があるんですよね、などと今更になってあたふたしはじめた花梨を、後ろに控えていた女房たちがくすくすと笑った。
幸鷹なりの愛情表現だったのだが、時々花梨には通じないようで、こんなやり取りが何度かある。その度に後で女房たちから聞かされて真っ青になるのはいつものことだ。そうして夜になってしおらしく謝る妻を抱きとめて眠るのも、いつものこと。・・・大概眠る「だけ」に留まらないのだが。
「仕事がひと段落しましたら、庭へ出てみましょう」
「はい!」
まだくすくす笑い続けている女房たちにちろりと一瞥をくれてから、幸鷹が歩き出した。
ヒトリゴト。
よくわからない仕上がりになってしまいましたね・・・力不足(泣
書き直すかも・・・です。
2011.6.3UP