ざあっという音と共に、雨脚が強くなる。
窓越しにそんな様子を眺めながら、花梨が呟いた。
「雨って嫌い・・・」
マグカップをテーブルに置くと、幸鷹が「おや」と珍しくからかうような声音で言った。
「常にポジティブシンキングのあなたから、嫌いという言葉が出てくるとは思いませんでしたよ」
「私だってマイナス思考になる時くらいあります」
ぷうっと頬を膨らませる様すら可愛らしいと思うあたりで、いかに幸鷹がこの少女を想っているかがわかろうというものだ。
「何故『嫌い』なんです?」
苦手、ではなく、嫌い、と言うことからしてその度合いがわかる。よほど嫌なことがあったのだろう、話を振らないほうがいいのかもしれないとも思うが、誰かに話すことで気持ちが楽になるのなら。そう思ったから問うてみた。
「・・・雨の日になると思い出すんです。・・・事故に、遭った時のこと」
「小学校5年生の時に、車が突っ込んできたんです。発作を起こして運転できなくなって・・・それで、一緒に歩いてた子にぶつかりそうになったからかばおうとして」
今でも思い出す。
カラフルな傘の花。猛スピードで・・・花梨にはやけにゆっくりに見えた・・・突っ込んでくる車。舞い上がる傘。
咄嗟に友達をかばって押しのけた。そのはずみで自分が車の前に出てしまうことまで考えていなかった。
「痛くて痛くて、でも友達に心配かけちゃいけないと思って、救急車が来るまで大丈夫だよ、って私が友達を励ましてたんです。でも救急車に乗った後のことは全然覚えてないんです。気がついたら病室のベッドの上でした。頭と右手と右足に包帯が巻いてあって」
右腕と右足を骨折し、頭部も打っていたから入院が長引いた。度重なる精密検査、事故の事情聴取、謝罪に来たドライバー、お見舞いに来てくれた友達。
無意識に右腕をさする。雨が降ると時々痛むのだ。
京にいた時も少し痛んだ。でもそれどことじゃない状況の連続で、とにかく元の世界に帰りたかったから必死だった。京で暮らす選択肢もないわけではなかったが、こちらの世界に残すものが多すぎた。幸鷹の失ったものとてそう変わりはしないのだが。
「で も、発作を起こした人がとてもいい人だったんですよ。毎日のように来てくれて、ケーキとかぬいぐるみとかお菓子とか、あと本もたくさんくれました。だから 全然退屈じゃありませんでした。後で聞いた話では、入院費もその後の治療費とかも、全部負担してくれたんだそうです。そういうことだけじゃなくて、すごく 明るい人で、いつも笑わせてくれたんです」
持病の為に病院に行く途中で発作を起こしてしまったのだと聞いた時は、両親も責められなかった。
「病院にも行かなくなって、その人とも会うことはなくなりましたけど・・・今どうしてるのかな」
「あなたは常に前を向いていようとするのですね。事故に遭ってなお友達を励まし、明るく振舞おうとなさる。京にいた時もそうでしたね。皆の前では決して暗い顔を見せなかった」
京でも雨の日はあった。けれども四条の館で控えの間に姿を現しても、いつものように元気よく「おはようございます、皆さん!今日もよろしくお願いします!」と挨拶していたのだ。
きっとそれまでの間に暗い気持ちを押し込めて、笑顔を作っていたのだろう。そうとも知らず、自分は。
「私はそんなことも知らずにいた。いつも笑顔でいるあなたの本当の素顔を」
窓越しに外を向いたままの花梨を、背後から抱きしめた。温かく、ふわりと甘く香る、花梨の匂い。
「雨は」
幸鷹が呟く。
「雨は好きなんです。京にいた頃も、その前も。何故かはわかりません。雨が強ければ強いほど、見ていることが多かったように思います」
研究論文で行き詰った時。周りからの心無い言葉に傷ついた時。
雨が何もかもを流してくれるような気がしていたのかもしれない。
「雨上がりの空を見たことがありますか?虹がかかり、雲ひとつない青空を見た時に、今まで私が鬱屈としていたことが嘘のように、明るい気持ちになれる気がしていたのです」
だから雨が降ると楽しみだった。上がった後の空を見るのが好きだったから。
「幸鷹さんこそ」
花梨の手がゆっくりと幸鷹のそれに重なる。そうすることで、もっと幸鷹に近づける気がしたから。
「幸鷹さんこそポジティブじゃないですか」
「そうでしょうか」
「そうですよ」
「・・・そうですか」
きっと背後では目をぱちくりさせているだろうことが容易に想像できてしまって、花梨が吹き出した。
「何故笑うんです?」
「だって、幸鷹さん。・・・かわいいなって思ってたんですよ」
今度はむっとする雰囲気。幸鷹は元から感情を表に出すタイプではなかったが、花梨といるとどうやらそれもなくなることに、本人が気付いていない。
「男に言う台詞ではないと思うのですが」
「そうですか?」
「そうですよ」
今度は逆のやり取りだと笑えば、幸鷹も柔らかく微笑む。
「あなたを一番かわいいと思うのは」
花梨の体をくるりと反転させる。少しバランスを崩して幸鷹に倒れこむのを、難なく抱きとめた。直後。
「ゆきた・・・」
かさん、と続くはずだった言葉は飲み込まされた。啄ばむように口付けられ、唇が離れる時間よりも合わされる時間のほうが長くなっていく。次第に息が上がって無意識に口を開くと、待っていたかのように舌先が入り込む。
歯列をなぞり、戸惑う花梨の舌先を誘い出す。おずおずと差し出されたそれに、幸鷹の舌が容赦なく重ねられた。
「ぁ・・・ふ、っ」
息苦しさに唇を離そうとしても幸鷹が許さない。それどころか尚も深く入り込もうとする。
生理的な涙が浮かぶ。頭がくらくらする・・・。
「あなたを一番かわいいと思うのは」
幸鷹が再度囁いた。少し低い、幸鷹の声。これから始まる時間を予期させるには充分だった。
「私のキスを受け入れた直後の、この表情なんですよ」
覚えておいて下さいね、と。
この雰囲気には不似合いなほど綺麗に、幸鷹が微笑んだ。
ヒトリゴト。
地下室投下じゃない、と思います・・・多分。
事故に遭ったとか設定にはないだろうと思ったのですが、話の流れ上・・・まあ二次創作ゆえに好き勝手書けるとも言う(おいおい
これを機に、雨が好きになるといいね、花梨ちゃん。
2011.6.12UP