色は匂えど 散りぬるを
我が世誰ぞ 常ならん
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見し 酔いもせず
「おや、どうなさったんです?」
いろはうたですね、と幸鷹が後ろから声をかけた。
「花はこんなにも美しいのに散ってしまう。この世のものは全て変わりゆくもの。この無常の、迷いの奥から山を越えた先には、ささやかな夢を見たとしても惑うことはない」
「そういう意味だったんですね。奥が深いなあ」
「授業で習いませんでしたか?」
「意味までは教えてくれませんでした。ただ暗記しろ、って・・・ああ、でも」
花梨が指先を顎に当てる。幸鷹はこの癖を見るのが好きだ。明後日の方を見ながら「うーん」と考え込む姿は、年相応に見えるから。
「意味はわからなくても、すごく切ない感じがするなあ、とは思ってました」
「何故です?」
幸鷹さん、学校の先生みたいですよと笑って、それでもちゃんと考える。幸鷹の立場上、教養を身につけなければならない花梨だから、こういった会話もスキルアップになると思っている。だからからかってはみるけれど、真剣に考えるのだ。
「我が世誰ぞ 常ならん、っていうのが印象に残ってるんです。古典って苦手でよくわかりませんけど、今生きてる世の中にいいことない、みたいに捉えてました」
「この歌は、涅槃行の諸行無常を譬えたとも言われています。花梨殿が仰った部分は『是正滅法』、つまりこの世に生きる全てのものは、いずれ死を迎える、という意味です」
「む、難し・・・」
「そうかもしれませんね。ですが、この世の理でもあることです」
生を受けた瞬間から、命あるものは全て死へ向かってそのスタートラインを切る。
「友達は『あさきゆめみし』っていう音が綺麗だって言ってたんですけど、私はどうしてだか、そこだけずっと覚えてて・・・」
「浅き夢見し。浅い夢とこの世の事を譬える所は、私も好きですよ」
「夢、なんでしょうか」
花梨が呟いた。幸鷹は黙ってその横顔を見つめている。
「今こうして全力で生きようとしてて、今起きている何もかもを、夢っていう一言で終わらせて、いいのかな」
「こうした譬えはとても奥が深いものです。夢、と言っても、眠っている時に見る夢という意味ではないのだと思いますよ。私たちのような凡夫、つまり悟りを開けない人間には、そう言うことでわかりやすくしているのかもしれません」
「夢、かあ・・・」
足をぶらぶらさせながら、空を見上げる。夢のような出来事を体験した花梨にとっては、今もこうして幸鷹と京で暮らしていることが夢のようだ。
「あなたも、私も。醒めない夢の中にいるのです」
「醒めない、夢」
「そうです。あなたも私も、あちらの世界に帰ることを選ばなかった。こうして、京でその生を全うしようとしていることに、何か意味があるのだろうと、私は思いますよ」
何千、何万という京の民の命をお互いの背中に背負ったこと。幸鷹は今もなお、検非違使別当としてその責務に当たっている。
怨霊を払い、京を救い、お互いに傍にいることを誓い合い。
「醒めない夢、なんですね」
今こうして生きていることも。
その生を終えた時、ようやく醒める夢なのかもしれない。
「奥が深いなあ」
ぽつりと呟いた花梨にくすりと笑みを漏らす。
「ところで花梨殿」
「はい、何でしょう、幸鷹さん?」
「夢のようなひと時にこれからご招待申し上げたいのですが・・・」
幸鷹の眼鏡の奥、優しい瞳が花梨を見つめた。
「蘇を作らせました。一緒に食べませんか?」
「クリームチーズ!はいっ、食べましょう幸鷹さん!」
途端に元気な声で瞳をきらきらと輝かせた花梨に、幸鷹がこらえきれずに声を立てて笑った。
この世は全て儚いもの。
その儚い一瞬一瞬を、命あるもの全てが全力で生きている。
だから、儚くなどない。
醒めない夢だから。
ヒトリゴト。
えー。どこから言い訳しよう(おいおい
涅槃行の諸行無常を説いたというのは本当ですが、意訳は私が勝手にしたので違っていると思います。
めちゃめちゃ調べましたよ・・・普段いかにテキトーに書いてるかバレますね(汗
この二人で、いろはうたのお話を書こうって思いついたものの、なんせ幸鷹さんなので考えることが小難しい・・・!彼はもうちょっと理論的に説くと思うのですが、私の頭ではこれが精一杯です(涙
2011.7.6UP